責任を果す
皆さん!! 首相に責任能力があるか?問うべきだ
国民の生活実態を 無視した「暴言」・自己中心的な 発言と行動
を繰り返す人、即ち 「国民の思う所」がイメージできない人に
総理大臣を任せる事はできない
そして 国全体が これに似た風潮になっているとしたら 恐ろしいことです
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空間的・時間的に広がるすべての事に 責任範囲は及んでいる。
責任を果すには、あらゆる場所で、将来危機・破綻に至るであろうあらゆるストーリーを想像して、
危機を克服し・破綻に至らない様に仕組みを作る事こそが、「やらなければならない事」である。
将来起こりうる事態の想像力・予測能力がないと、責任は果せないと言える。
仕組みを作る時に判断基準がなければならない。
基準は倫理観・世界観・歴史観等に基礎を置き、状況を「better」にすることが前提だ。
こんなストーリーを、書き上げる能力こそ 組織を背負って立つ人に求められる。
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破綻してからでは遅い!
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管理者・監督者の責任能力が問われている。
「やらなければならない事をやれる能力」である。しかし、「やらなければならない事」を理解していない責任者が多いのではないか。
「公私」の区別が出来ない人、「嘘をつく」人 は責任など果たせない。[人としての徳性」を持っているか?
これが最低限求められる必要条件だ。
責任は危機の時、破綻した時に問われる。
制裁を受ければ、其れで責任を果したことになるのか。
組織体が破綻して、大勢の人が職をなくしたり 損害を蒙ったとき、罰金と禁固で責任が果せたと言えるのだろうか。
大勢の人が亡くなったり怪我をした時、どの様にしたら責任は果せるのだろうか。
「死んだ夫・子供を返してくれ」と言う叫びに対して、「最善を尽くしました」と言えるには、何を為すべきなのか。
「責任者が「やらなければならない事」は、
管理下で今起こっていることから将来起こるであろうことまで、
空間的・時間的に広がるすべての事に 責任範囲は及んでいる。
責任を果すには、現在を起点にして、管理下に有る人達が居ると想定されるあらゆる場所で
将来まで、危機・破綻に至るであろうあらゆるストーリーを想像して、
危機・破綻に至らない様に仕組みを作る事こそが、「やらなければならない事」である。
だから 過去に起こった事例を集めて分析し
将来想定できるストーリーを作る想像力・予測能力がないと、責任は果せないと言える。
仕組みを作る時に判断基準がなければならない。
基準は危機の状況と程度・緊急度に因って変る。
基準は倫理観に基礎を置き、状況を「better」にすることが前提で決められる。
こんなストーリーを、短時間に一度で書き上げる事は難しい、がやらねばならない。
だからマニュアルという形にして、経験する度に書き加えて もれのない形に仕上げていくのである。
倫理観は地域・人によって違うので、危機の状況・程度と其の時に適応できる判断の基準も変わる。
倫理基準を含めた判断基準は 想像できるストーリーを作り上げる過程で議論し、マニュアルに盛り込まねばならない。
このたゆまぬ努力こそ、責任を果す為の基礎といえる。
一般に、計画に書くのは「上手くいく」「希望的安全」ストーリーだ。
企業の経営者が借金をする時に、銀行から言われて書く事業計画書は
だいたい「希望的安全」ストーリーで、その場が凌げるだけのものの例である。
例えば、引き合い物件は、ほとんどが予定期日に受注できて利益が出る。
その上クレームは起こらない。という具合である。予定は狂わないし、まずい事は起こらないと言う前提である。
しかし実態は競争相手に取られたり、受注してもクレームが発生して、
対策の為に費用が嵩み、その上検収が大幅に遅れる、と言うような事態はよく起こる。
或いは、「過去3年の売上推移を見ると徐々に減少している、何か対策はありますか。」と銀行から言われる。
すると「自社オリジナル製品を開発して、景気による顧客の注文動向に左右されない体制を取ります。」と答える。
銀行はこれで融資してくれる。
「自社オリジナル製品は景気に左右されずに売れる」と言う、
可能性の薄い前提条件が、信じられ実施されてしまう。結果、企業は破綻に至る。
これと同様の「可能性の薄い」条件を前提にした計画は沢山ある。
そして発生確率の大きい小さな事故(倒産や交通事故等)はかなり発生している。
自治体の事業計画でも似たようなことが行われていないか?
前提条件が崩れた時に危機が起こる。
ストーリーを想像して前提条件を見なおし「これ本当?」「甘くない?」と「甘さ」を見破り、
可能性のない「常識」を、可能性の有る「非常識」に差換えられる論理的な予測能力と決断力が、
誤った道に入り込まない為に必要なのだ。
このような「落とし穴」を見つけて塞ぐか、道を変えるか 対策しないと怪我をする。
自分で自分が歩く道に「落とし穴」を掘って、落ち込んでいく頼りない人も、経営者や管理・監督者の中にはいる。
次ぎに、「「常識」と言う条件が充たされない場合」を想像して、
一つづつに対策と答えを用意し、多くの人が理解し納得出来るように説明できることが必要だ。
性格の温厚な子は 凶悪犯罪を起こさないのか?。水は下流から上流には流れないのか?。
経理担当者は横領しないか?。100Vのラインに1000Vがくる事はないのか?。
ビルに旅客機がぶつかることがないのか?。と問うのだ。
大方の答えは「常識的」に「有り得ない」である。
「有り得る場合」を多くの人が理解し納得出来るように説明し、一定の基準を設定して対策を取っておくのだ。
ここで大切な事は「便りのないのが、良い便り」ということだ。
即ち、きちんとてだてが為されていれば、事故・破綻は予防されて、起こらないで済むのだ。
銀行に対しては融資してもらえれば取り敢えず目的は果せるのだが、
切羽詰った経理担当者が高利のお金に手を出している事態だって有り得る。
地下室に水が入って発電機が停まり、排水ポンプが停まってしまう。
或いは、道路は川になって、地下室の扉が、外から流れ込んだ水の圧力で開けられなくなってしまう事態だって起こりうる。
交通量が計画の半分にも満たない道路、利用者が皆無に等しい官営のリゾート施設ETC
こんなものが 国の財政を破綻に導いている事は ご承知の通りだ
責任を果せる能力は、未来についての想像力と事前の対応力だ。
想像力と倫理観に基く実行力で、如何に「best」に近い状況を維持し、危機に陥らない様に仕組むこと
が「責任を果たすこと」と言えよう。
直近の未来についての想像力と対応力は、企業の管理職一般に求められている能力である。
常識や先入観は過去の経験に基いている。
未来・将来に起こるであろうことは、そのような経験から外れることが有り得るのだ。
このような時の判断力が組織の統率者に求められる。
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